「お嬢さま私が叱られます」べそをかきながら側仕えのヒソンがへヨンの袖をひっぱていた。
しかしヘヨンは黒目がちな大きな目をキョロキョロさせ、ヒソンの声など耳には入れず商店をのぞいていた。
「お嬢さま・・・・」ヒソンはもう泣き出していた。
「もう、うるさいわね。お母様のお小言なんかちょっと我慢したらいいのよ。ほらヒソンあれを見てご覧、なんて綺麗なんでしょ・・・・」
胸元で握りしめたジャンオッが頭から擦り抜けたことも気づかず、へヨンは夢中になって美しい髪飾りに見とれていた。
あの日ウネに残され、かぼそい声を出していた赤ん坊リュ・へヨンはスクスクと育った。
そしてウネの乳から離れる頃、チョ夫人はこう言った。
「ウネ今日からこの子は私の子として育てます。あなたは乳母として一生この子の側にいてもいいけれど、決して自分の子どもだというこうとは明かしてはなりません」
こうしてへヨンはチョ夫人を母と信じ、何不自由なく成長していった。
「何というはしたないことをしたのですか、あなたが見つかるまで生きた心地がしませんでした」
美しく施された唇が言葉を吐くのをぼんやりとへヨンは見ていた。チョ夫人の赤い口がまるで違う生き物のような気がしていた。
「・・・・へヨン聞いてるのですか」
チョ夫人は大げさにため息を吐いた。
「へヨン、見てごらんウネは心配で見つかったと聞いて泣いてましたよ」
へヨンはその言葉にウネを振り返った。
袖口で目頭を押さえていたウネを見るとそばに飛んでいって抱きしめた。
「ウネごめん、もう心配はかけないから・・・・」
その姿を見ていていたチョ夫人はそっと眉をひそめた。
「ねぇヒソンまた街に出てみない」
すっかり大人しくなったと思われた頃、へヨンはヒソンにささやいた。
「お嬢さまあの時もうしないと仰ったではありませんか、そんな恐ろしいこと私には出来ません」
ヒソンは身を震わせた。
ある日、へヨンの姿が屋敷から見えなくなった。
へヨンは生まれ育った天津とは違うこの街の魅力に惹かれ、
ジャンオッの隙間から、鮮やかな色で溢れた店々の品物に目を輝かせてた。
どこまで来てしまったのだろうか、気が付くとそこは賑やかな商店街ではなく、ひっそりと静まった店のようだった。
午後の日差しが夕暮れに代わろうとした頃、その静かな店先に灯りがともり、ガラガラと大戸が一斉に開いた。
男女の営みさえ知らないヘヨンだがそこがどこなのかを悟った。
大急ぎで来た道を引き返そうと踵を返したとき、真っ白なパジチョゴリを着た男とぶつかりそうになり、慌ててジャンオッを引き寄せ顔を背け足早に立ち去ろうとした、その瞬間ヘヨンの手首は掴まれた。
ヘヨンの目は恐怖に引きつった。
「走っては駄目だ」
よく響く低い声がヘヨンの頭の上でささやいた。ヘヨンが恐る恐る目を上げると、黒いカッの下に驚くほど整った顔の若い男がいた。
男はヘヨンの顔に目をやり「走っては駄目だ」とまた同じことばを口にした。
訝しげにヘヨンが目を細めると、笑いを堪えた目がヘヨンを捉えた。
「走ったら、間違って迷い込んだ素人娘とひとめでわかってしまう。人買いの餌食になるつもりか」
ヘヨンの顔から血の気が引くのがわかった。
「私のあとを付いてきなさい」
「ここだともういいだろう」
そう言うと男は振り向いた。
ジャンオッを固く握りしめ、男の足元だけを見ていたヘヨンは急に止まった男の胸に頭をぶつけた。
「・・・・・・・申し訳ございません。・・・・・ありがとうございました・・・・・・」
ジャンオッから顔を出したヘヨンを男はまじまじと見つめた。
「・・・・・・顔を出してはいけない。もう一人でいけるな」
ヘヨンはジャンオッを被り治した。
「・・・・あの、あとでお礼を・・・・・・・」
カッの下の目が面白そうに光った。
「おれい?」
「はい・・・・・・・」ヘヨンは頬が赤く染まったのを覚えた。
パジチョゴリを翻し男は立ち去ろうとした。その時ヘヨンはその袖口を掴んだ。
男の眉が微かに不愉快そうに上がった。
「・・・お名前を・・・・・・」
男の口が開いた
「ユ・ジョンウォン」