恋愛遊戯 その4
 

箸より重いものを持ったことがない

そんな戯れ言が当たり前のような生活をしていたチョ夫人、いかに聡明であっても座して稼ぐことなどほど遠いところに追い込まれたのを初めて思い知ったのは、5日ごとに支払う宿賃に事欠くようになった頃だった。

明日の朝支払う金を見、チョ夫人は大きなため息を吐いた。
ふと、暗くなった部屋に灯りをと周りを見渡した時、召使いのウネの姿がなかった。
ーフッ・・とうとう・・・・ー
自嘲気味の笑みが零れた。

夜が更けてもウネは戻らなかった。

明け方足元に畳まれたままの布団を目にしたとき、チョ夫人の疑いは確信のものとなった。
深いため息でまだ薄暗い障子に目をやり、廊下にうずくまる人影を見た。

乱れた髪、片方脱げた足袋、切れたジャンオッ。
一目でウネに何があったのかチョ夫人は悟った。
部屋に入りチョ夫人の前に平伏したままチョンアは懐から金入れを取り出した。

耳の聞こえないウネが掴んできた大金、チョ夫人は呆然とした。

両班の奥女中として勤めるにはそれ相当の礼儀作法、読み書きなどが出来ていなければならなかった。ウネは耳こそ聞こえないが、それに余るだけの器用と気配りを備えていた。
だからこそ、チョ夫人は屋敷を抜け出すときウネだけを連れて船に乗り込んでいた。

チョ夫人の書き糾すことに震える字でとぎれとぎれウネは語った。

奥方様の深いため息がお金のことであるなどと、あまりにも惨めすぎました。
これもわたしなどをお連れになって足手まといになっているに他ありません。
わたしのようなものを庇いながら、ご苦労をされている奥方様に何とかお金を差し上げることが出来ないかと・・・・・・馬鹿なことを考えました。
いつの間にかわたしは女郎屋の前に立っていました。しかし喧噪も聞こえずましてや男達が囃し立てる淫らな声さえも聞こえません。
そんなわたしをニヤリニヤリした男が小路へ引きずり込みました。
わたしは自分には聞こえない大きな声を上げていたんでしょう。それを聞きとがめた男の人がその場を救ってくださいました。
そのお方はどこかでお目に掛かったことのある方でした。
口を利かないわたしに呆れながらも、しげしげと顔を見て、「お前は・・・」以前奥方様とご挨拶をされた船主さまでした。
船主様はひとまずご自分のお屋敷にお連れ下さいました。
しかし、大層お忙しいご様子でわたしに休んでいるよう書き記しその場を離れました。
どのくらい待ったのでしょう、船主様はお戻りになりません。
わたしも奥方様のことが気になり宿へ戻ろうとお屋敷を辞そうとしましたが、どこをどう行ったらよいのか。あまりの大きなお屋敷で殿方の座敷へ入っておりました。
慌てて廊下を走り抜けようとしたとき、開け放たれたお部屋からお若い殿方にむんずと腕を引かれそのまま組み敷かれたのです。
あまりの驚きに声を上げることも出来ずにいました。そうこうしている中に何かおかしいと思ったのでしょう。お若い方は何か申しましたがわたしには詮無いことです。
そんなわたしを持て余し、わたしは廊下に打ちひしがれて座っておりました。
そこへ用事を済ませた船主様がお通りになり、わたしの風体とお若い方の顔を見ると何ごとかをその方に申しました。
夜が更けるのを待ってわたしは船主様からこのお金を持たされてここに送り届けられたのです。


ー その若い者は誰なの ー

いいえ、わかりません。ただ、船主様は声を上げて叱っておられました。

ー で、何か書き付けたものを持たされなかったのか ー

こちらにございます。


そこにはチョ夫人宛に
ー お役に立てることがございましたらお声をお掛け下さい ー
とのみ、記されていた。



休みなさいというチョ夫人に頭を振っていたウネだが、無理矢理布団に入れられたとたん寝息を立てていた。
しばらくその顔を眺めていたチョ夫人は、ウネが持ってきた金入れを持ち決意したような顔で花靴の音を響かせて早朝の宿を出ていった。

数日後、荷物を捧げ持ったウネを従え美しく身なりを整えたチョ夫人が船主の屋敷を訪ねた。

匂い立つような妖艶さに船主は息を呑んだ。
あの時船長に目通しさせたときは美しいが薄汚い女としか見えなかったが、こうも美しいとは思いもしなかった。

チョ夫人は船主と目を合わさずうつむきながら言った。
「先日は私の召使いが大層お世話をお掛けいたしたと、ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
「あ、いや・・・・」
「あなた様にはつまらぬものですが、なにとぞこちらをお受け取りくださいませ」
「おう、これは」
「恥ずかしゅうございます、私が調合いたしましたお茶でございます」
「何とも香しいものだ」
「厚かましいとは存じますが、このお茶に相応しい方をご紹介いただければと・・・」
「・・・・わかりました。奥方様のお目に叶うかどうかわかりませぬが、精一杯お力に成らせていただきます」


チョ夫人は満面の笑みでホォッと吐息を付き船主のほうへ、脚を伸ばした。
好色の笑みを浮かべ船主はチョ夫人の足の甲に手を伸ばした。
その手をなにげに押さえ、脚をまた元に戻した。


「お心に添う方をご紹介いたします」
船主の目には欲望がたぎっていた。
「うれしゅうございます」
チョ夫人は艶やかな笑顔を作った、しかしその目は笑ってはいなかった。


数カ月後、側仕えを従えてお近づきのご挨拶と称し、両班になりたい中人の屋敷を訪問するチョ夫人の姿があった。

一年後、家を構えたチョ夫人の所へお茶を所望する中人、両班が訪ねてくるようになっていた。その頃には船主の肝煎りの召使いが切り盛りするようになっていた。
奥座敷には黒塗りの屏風を前に鮮やかなチョゴリを身につけたチョ夫人が座っていた。



ある夜、奥座敷の部屋から女の壮絶な呻き声と赤ん坊の泣き声が響いた。
そして数分後、力つきるような呻き声とまた赤ん坊の泣き声が聞こえた。






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