[美術館・・・3文字の秘密] ウィーンの思い出
 


暑い夏だった。

秋を飛び越し冬の季節に飛び込んだ
透きとおった空気に触れ、雪を待った。

そして、また夏に戻った。
私の日常はまだ、この季節だったのだ。


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呼吸をすることさえ忘れていた
大きく目を見開き、もしかしたら口まで開けていたのかもしれない
ここに辿り着くまでのことすべてを忘れていた
まるで身を任せたかのように吐息が漏れた

どれくらいそうしていたのだろう

「随分長いこと見てるけど好きなの」
自分に声を掛けられたとは思わず振り返りもしなかった
「ねえ、きみ・・・・」
肩に手を置かれ驚き、横に立っていた彼に気づいた
「・・えっ、私・・・ええ、好きよ・・おかしい・・」
「いや、僕も好きだけど。君はここに入ってからこの前から動かないんじゃないの」
確かにそうのようね、目をらんらんとさせ見入っていたのね
私は真っ赤になるのがわかった

エゴン・シーレ(Egon Schiele)彼の絵をこんなに食い入るように見る女性は少ないのかもしれない、
だって私が見てたのは男性の裸体、しかもかなり、そうエロチックなもの

ここウィーンのレオポルト美術館は今まで個人所有のため見ることのできなかった絵画が展示されている
私は2001年のオープンした当初から憧れ、アルバイトを重ねて旅費を捻出しここに来ていた
なんと3年も掛かってしまった

「絵を勉強してるのかい」
「いいえ、単に好きなだけよ。あなたは」
「僕もそうだよ。単に好きなだけ・・・・」
思わず顔を見合わせ笑った
「ひと休みするかい」
私たちは併設されているカフェに入った

「ワイン、ビッテ」「ワイン、ビッテ」
ウェーターに同時にオーダーをした
「どうやら、同じ感覚らしいね」
彼がおもしろそうに呟いた
「たぶん、そうね」
私たちはワイングラスを片手に今見てきた絵の感想を話していた
驚くほど絵からの受けた印象は同じものがあった
心地よい、居心地のよいものを彼から感じ取っていた

「行かなくちゃ」
「僕もだ」
「また、会えたら嬉しいけど・・・・ダンケシェーン」
「・・・ダンケシェーン・・・・待って名前は・・・」
「・・・・・シシィ・・・・」
「えぇ!・・・」

彼と別れてムクの前の信号で立ち止まると、私は大胆な名前を口ずさんでいたことに後悔していた
きっと二度と会うことのない旅先の開放感が私を奔放にしていたのだろう
思い返していた。何をだろうか、憧れのあの絵だろうか、それとも黒い髪の優しい眼差しの彼をだろうか
頭を振り私は何かを追い出そうとした、マリアテレジアの像を見つめ道路を横断した

「見違えたねシシィ・・・・
 確かにシシィだ・・・・名前の通りだ」
あの彼が黒のイブニングスーツを着て立っていた
見るからに上質な綿の白いシャツ。シルクのネクタイも完璧だった
程良い長さの黒い髪。引きつけて止まないめがねの奥の穏やかな瞳
軽く腕を胸の前で交差させ、右手を顎のあたりに置き、長い人差し指が口元に掛かっている

ホテルのエレベーターから降り、ロビーで待ち合わせをしていた私は驚きで声が出ない
そうしてる間にもロビーを通り過ぎる数々の視線を感じていた
不躾に見つめる視線、ウインクをして微笑む視線
その中でも彼の何とも言えない賞賛してくれる視線に私の視線は絡まった
彼の絵から抜けだしたような姿に我を忘れていた

絞り出すような声、私の声だろうか
「・・・あなた、素敵ね・・・・・・」
クスッと笑う彼の姿に思わず真っ赤になった。
「それ以上にシシィ、君は素敵だよ。ほら、みんな君を見ていくじゃないか」
彼のその一言に自信を取り戻した私がいた

ブルーのアンダードレスに同色のシフォンを重ね、少し濃いブルーで薔薇の総模様が浮き出ているイブニングドレス、
アクセサリーはドレスと同色の指輪と大きめの真珠のイヤリングを身に付け、ピンヒールのパンプス、ショートヘアーは重い印象の黒い髪をタイトに見せていた
オペラ座とて普通の服装での鑑賞ができることになったのは知ってはいたが、こんな機会はいつ訪れるかわからない私は、おもいっきりお洒落をしていた
ただ、エスコートしてくれる人がいないことだけが悔やまれていた

「何処に行くんだいシシィ」
「・・・オペラ座よ」
「僕もだよ」
「・・・・」

同じグループの人達が集まってきた
そちらに彼は目をまわした

「シシィ、君のエスコートは」
「いないわ。だってほとんどが女性のグループで来てるのですもの」
「じゃあ、僕と行かないかい」
「あなたは一人なの」
「むさ苦しい男と一緒さ」
彼の視線の先にフォーマルなスーツを着た男性が手持ちぶさたに立っていた
「私のチケットはC席よ、あなたはA席なんでしょ」

「ラ・ボエーム」は素晴らしかった
ミミの歌声に涙した

夢のような夜、いや一日
これから先、私の人生で起こるはずもない日

幕間のシャンパンとキャビアのカナッペと一粒のチョコレート
流れゆく時間がドナウ川のように感じられた

ホテルに戻り部屋に立ち去りがたく、彼を見つめた
私たちの目はラウンジのカウンターバーに捉え、ゆっくりと微笑み合うと手を携え、スツールに腰を下ろしていた
チャーミングなバーテンダーがグラスを置き、2,3度ウインクをして立ち去った
何の言葉もなく彼を見ていた
彼も何も語らず見つめていた
どちらからともなく立ち上がり歩き出した
外は秋を通り越し冬の気配があった。火照った頬を冷たい風に晒し、ほんの少し身震いをした
「・・・・寒いかい」
「いえ・・・」
真夜中の道には僅かな人の影だけがあった
恋人達は別れのキスを繰り返していた
彼は頭を下げ、私の口に軽くキスをした、羽のようなキス
キスとは呼べないようなキス

グリタフ・クリムト(Gustay Klimt)の絵の前に立っていた
あと僅かな時間、ここにいることのできる時間
何を待ってるのだろう、私は自問した

「随分長いこと見てるけど好きなの」

彼の声が耳元でささやいた

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いかがでしたでしょうか。
想像の翼が大きく広がることを祈って。







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