To the future ―未来へ― 3 夕焼け
 
「パパ、来週の日曜日だったら良かったわよね」
「小林さんがいらっしゃるって?」
「ええ、ぜひにお出で下さいってお話ししたわよ」
ビョルに本を読んでやっていた僕は、
「コバヤシさんって誰?家にお客様が来るの?」
「あら、ユソン。美久は小林さんっていう名前じゃなかったの」
 
美久・・小林・・家に来る・・・・・・
僕の頭の中でグルグルまわった。
きょう、学校で悪戯っぽそうな美久の笑顔の意味が分かった。
 
ママが言うには、僕が美久にバラを届けた翌日、
美久のママからお礼の電話があったんだって。
で、ママたちはすぐにお友達になってそれからいろんなことを
電話でお喋りするようになった。
ソウルには日本人学校があるのに、美久がどうして僕たちの学校に来たのかなんかを、
ママは詳しく知っていた。
美久のパパが、折角の住む機会をもてたのだから、
そこの国のことをわかってほしい。
そして、いつかできたら小さな架け橋になってもらいたい。
という思いからということも。
でも、美久がなかなか馴染まなくて、やっぱり無理かな、
日本人学校に変えようかなと話し合っていたときに、
僕とのことがあった。
美久に学校代わろうか、と話をしようとした日に僕が訪ねたんだ。
美久のパパは僕の話を聞いて、もう少し様子を見ることにした。
それから少しずつ美久も明るくなり、お友達の話をするようにまでなったって。
 
ママたちはゆっくり会ってお話をしましょうと、僕の家に来てもらうことにしたんだ。
 
この頃の美久は、もう僕たちと同じくらい話すようになって、
前みたいに一人でいることもない。
やさしくって、いつも笑顔の美久を隣のクラスの男の子まで見に来るんだ。
その美久が僕の家に来る。
 
********
 
日曜日
いつもより早く目が覚めた僕が起きていくと、もうママが庭に立っていた。
「ユソン、早いわね」
「ママこそ」
二人で顔を見合わせてクスッと笑った。
ママはいつものようにパパのためと美久の家族のための白いバラを摘んだ。
そして1本、美久のためにピンクのバラをいれて。
 
玄関のチャイムが鳴り終わらないうちに、僕はドアを開けた。
そこには美久のパパとママ、そして美久がにこにこしながら立っていた。
「いらっしゃいませ、お待ちしてました」
 
リビングに落ち着いて、美久のパパは
「お招きいただきありがとうございました」とていねいな韓国語で挨拶をして、
「妻の洋子と美久です」と紹介をしてくれた。
パパも「ようこそ、カン・ジュンサンです、妻のチョン・ユジン、
ユソンはご存じですよね、そしてチュンソン・ミンソン・ビョル」
チュンソンもミンソンもビョルもパパが大人のように紹介してくれたんで、
うれしそうにしてとても上手に挨拶ができた。
ビョルはもう美久の手をつないでいる。
 
美久のママが日本のお菓子をお土産に持ってきたくれた。
おせんべいと僕らの大好きなアニメの絵のついたチョコのはさまったクッキー、
きれいな箱に入っている。
それを受け取ろうとして、パパの手が宙を舞った。
 
美久のパパとママが「ハッ」と息をのむのがわかった。
 
パパは家にいるときは、まるで見えているかのように何でもやる。
家で初めてパパにあった人は、パパが目が見えないことに気づかないこともあるんだ。
 
気まずい空気が流れた。
 
「存じ上げなかったもので、」
美久のパパが少しばつの悪そうな声で言いながら、顔を上げた。
その時「これは?」
と美久のパパが突然大きな声でリビングの壁に掛かっている写真に目をやり、
声も動きも止まった。
「あなた失礼でしょ」
美久のママが声をかけたが、美久のパパはその声も耳に入らないようだった。
美久のパパの先には{不可能な家}の全景写真があった。
横にはこの春、{不可能な家}の前でみんなそろって撮った写真も何枚かかけていた。
「洋子、この写真、この家だよ」
写真の前まで行ってじっと見ていた美久のパパの声が上擦っていた。
美久のママも{不可能な家}のみつめた。
 
********
 
美久のパパが大学院生だったとき、
日本で{不可能な家}に興味を持った人たちの学会があり、
それがどんなものかも知らず美久のパパは、
日本語から韓国語、韓国語から日本語への翻訳の手伝いをした。
学会の資料を整理しているうち、自然と調和した{不可能な家}の写真を見て
いつかこの目で見てみたいと思うようになった。
その後、商社に就職して、この春、韓国に赴任したんだけど
仕事が忙しいのと、資料の整理だけだったのでその家がどこにあるのかさえも
わからなかった。
{不可能な家}をみたいという思いを諦めていたというより
忘れていたような気がする。と
熱にうなされたように、顔を真っ赤にして美久のパパは話した。
 
その日、パパたちはまるで昔からの友達みたいに
{不可能な家}のこと、韓国のこと、日本のことを話していた。
時々大きな声で笑いながら、ものすごく楽しそうに。
 
********
 
美久と僕たちは、庭に出てビョルに合わせて「かくれんぼ」をして遊んだ。
僕は美久とお喋りしたかったんだけど、小さいビョルに合わせてやらないとね。
ミンソンがオニになった時、美久と一緒にバラの花の下に隠れた。
「いたい」
小さな声で美久が悲鳴を上げた。
美久の小指にバラの棘が刺さって赤い血がにじみ出していた。
とっさに僕はいつもビョルにやっているように、
美久の傷を口に含んで棘を吸い出していた。
 
「ユソンのお庭はとてもいい匂いがするのね」
美久の震えるようなささやく声が耳元でした。
僕はハッとして、美久の指から口を離した。
耳の先まで赤くなるのを覚えた。
僕は目をあげることが出来ない。
 
「おにいちゃん、きれいな夕焼けよ」
ビョルの声で僕らは立ち上がった。
僕らを包み込むかのように空が真っ赤に燃えていた。
 
美久をそっと見た。
美久も僕を見ていた。
夕焼けに染められた僕たち。
心の中まで夕焼け色で。





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